13時50分51秒 [日々の生活]
文章を書くこと自体は全然苦にならないのですけども、読書感想文は昔々(小学生時代)から凄まじく苦手で苦痛でした。
読書に限らず感想文全般がそうなのですが。
これは今でもそうです。
その理由は何かな……と考えて思いつく理由の1つ(たぶん最大の理由)が、「まず、あらすじを教えて差し上げないといけない」という気になるからではないかと思います。
だって、その作品を知らない状態の人に感想だけを述べたって何も伝わらない気がするので……。
感想文を読む人が、自分と同じ作品を既読だとは限らないわけですから、まずはどんな話だったのかを説明して差し上げる必要があるだろう、と昔から考えていました。
例えば人物名を突然出したって、実在・歴史上の偉人ならともかく、フィクションな作中の人物なら、まずその人物がどんな人なのかを説明しないと、読者(=感想文の読者)は確実に何も分からないわけですから。
なので、まずは(感想文の読者のために)当該作品の内容を要約(紹介)して差し上げないといけない(と思い込む)わけですけども、「感想を書こう!」と思い立つくらい面白かった作品なら、そう簡単に要約できるほど単純な内容ではないのですよね。
……となるために、「感想を述べる段階」にまで行き着かないのではないかと思います。(笑)
すると結局、何か言うとしたら「おもしろかった」以外に言えることがなくなるというか。
だから、読書感想文は凄まじく苦手なんですよね。たぶん。
その辺が最大の理由ではないかと思っています(違うかも知れませんが)。
で、ネット上には「感想文が上手い人」(というか、感想文がおもしろい人)の文章が多々あって、昔からちょくちょく読む機会があったわけですけども、最近になってようやく気付いたことがあります。
➡ 感想文という文章の中には、別に作品そのものの紹介は要らない……!
感想文を読む相手が(当該作品を)既読だろうが未読だろうがそんなことは知ったことではなくて、ただ思ったことだけを書けば良いんですよね。自分の思ったことだけを。
「感想文」は、「解説文」とは異なるのですから。そこが分かっていなかった気がします。
読書感想文に関しては、読者(=自分の書く感想文の読者)は置いてきぼりで良いのです。たぶん。
いや、違うかもしれませんけども。
なんかそんな気がしています。
オタク業界には「何かよく分からんが沼にハマっている人を端から眺めるのは楽しい」みたいなのがよくありますが(笑)、この「何かよく分からんが」の部分はよく分からんままで全然問題ないのですよね。
(いや、現にハマっている人からすれば、他者を同じ沼に引きずり込みたいと思っているかもしれないので「何かよく分からんが」で済ませては欲しくないかもしれませんけども。^^;)
少なくとも「端から見て楽しいかどうか」の要件には、ハマっている対象が既読である必要もなければ、あらすじすら知っている必要もありません。
沼にハマって狂ったように幸せそうにしている人を見るのは、その沼に何が沈んでいるのかを知らなくても楽しいわけです。
それが「感想文」なんだな、と最近気付いた次第です。
違うかもしれませんが。
例えば、カードキャプターさくらの感想を書くなら、決して「カードキャプターとは」から始めてはいけないわけです。
心が感じたままに、「はにゃーん!😍 ぐへへ、ぐへぐへ。さくらたーん!」みたいな感じで始めないといけないのでしょう。(違うかも)
読者(=感想文の読者)が居るかどうかとか、感想文の需要とかを気にしてはいけないし、読者が理解しやすいように気遣って解説してもいけないのです。
むしろ、自分の狂った様子を狂ったまま記録するのが(おもしろい)感想文というものなのでしょう。(違うかもしれませんけども!!)
どうせ書くなら、楽しい感想文を書きたいものです。
この日記へのコメントはお気軽に! コメント数:0件
コメント数: 0件