にしし ふぁくとりー:西村文宏 個人サイト

Presented by Nishishi via Movable Type. Last Updated: 2022/03/25. 10:34:34.

簡単にやめられる保証があるからこそ何にでも挑戦できる

初志貫徹を求めると、うまくいかなかったときに、次から何も決断できなくなる

「一度決めたことは最後までやり通せ」という初志貫徹は、本人が自発的に思うなら構わないけども、指導として求めるのはマイナスでしかなく、愚かと言っても過言ではないと思っています。
一度やってみたことが、実は自分には全く合わなかったと後になって気付くことだって当然あるはずですよね?「つらくなってもやり続けないといけない」となると、嫌々のままやり続けることになります。
その結果どうなるか?

当然、何も決断できなくなります

なぜなら、次に何かをするかどうかを決めようとする際には、「もし合わなくても嫌々最後までやり通さなければならない」と尻込みして、気軽に決断は下せなくなるからです。
また、「やらない」と決めれば、「最後までやれ」と求められることもないのだから、何事についても「やらない」と決断するのが最も楽ということになってしまい、何にも手が出せなくなるという可能性もあるでしょう。
初志貫徹を求めるのは、指導としては明らかに逆効果です。

「一度決めたら最後までやり通せ」=「一度雇ったら最後まで雇い通せ」?

このことは、正社員の求人活動での会社側の行動にも表れているように思います。
日本の会社法では、そう簡単に正社員をクビにはできない制度になっていますが、それは「一度雇ったら最後まで雇い通せ」という初志貫徹を求める制度ですよね。^^;
だから、会社側は「本当にこの人物を正社員として雇って良いのか?」を何度も面接して確認するわけで。
そして、最も楽なのは「正社員は雇わない」と決断することなので、正社員を極力増やさずに派遣社員とかアルバイトとかを使うようになるわけですよね。

もし簡単に社員をクビにできる制度だったら、「ダメだったらクビにすれば良いのだから」と、もっと気軽に正社員として雇えるはずです。
ここからも、初志貫徹を求める愚かさが見えます。

少しずつでも囓って試してみることの何が悪いのか?

何でもちょっとずつ囓ってみることの何が悪いんでしょうね?
何度でも別のことに挑戦してみて、最終的に何かにたどり着けばそれで良いじゃないかと思うのですが。
「転々と変えていると何にもたどり着かない」などと、どうして他人が断定できるのでしょう?

そもそも、自分に合う物が最初の1回で見つかるとは限りませんよね。たくさん試してみないと合う物に出会えない人だって居るでしょう。
また、仮に本当に何にもたどり着かなかったとしても、そこまで多数の物事を少しずつ経験したのであれば、それはそれで役に立つかもしれません。
何も「たった1つのことに打ち込むこと」にしか価値がないわけではないでしょう。

いつでもやめて良いと言うからこそ、何にでも挑戦できる

何事にも挑戦してみる意欲を育てるには、まず「合わなければすぐにでもやめれば良い」という『やめられる保証』を与えておく必要があります。
そうすれば、ほんの少し興味を持っただけでも試してみようと思えるようになるでしょう。合わなければ、やめてしまえば良いだけですから。

もちろん、「ある程度続けてみなければ本当に合うのか合わないのかが分からない」という面もあるでしょう。それならば、「少なくとも3日(3回)は続けてみなさい」くらいの最低条件を付加しておくのでも良いかも知れません。
3日後に「続ける」という決断を下したとしても、さらに3日経てばやめても良いという保証がある環境下なら、気軽に「続ける」という決断が下せます。
その結果、長く続くということだってあるはずです。
逆に、「一度続ける決断を下したなら最後までやれ」などと求めてしまうと、気軽に「続ける」という決断は下せず、「まあ止めとこうかな」と続けない決断をするかもしれません。

つまり、「やめにくくする」という制度には、デメリットしかありません。

やめにくくした結果、2度目には「なにもしない」選択をする

中学や高校のの部活動でも、退部するのはなかなか困難な仕組みになっているんですよね。学校にもよるかも知れませんが。
私の友人2人が中学時代にある部をやめる決断をしたわけですけども、教員を説得するのに大変な苦労をしていました。(そもそも最初に「やめる」と告げた際には理由を尋ねることもなく却下されていましたしね。^^;)
彼らは最終的には退部できましたが、その後、別の部に入ることはありませんでした。
まあ、そりゃそうでしょう。一度入ったら出るのは難しいと分かったら、次にどこかに入るわけないですよね。
「やめにくい」とは、大変愚かな仕組みでしょう。

「やめる」とは言わず、「別のことをする」と表現するのが吉

そもそも大人でも子供でも、何かを「やめたい」と言うと何故か反発する人間が多数出てきます。不思議ですが、利害関係も師弟関係も何もなくても、何故かそう言ってくる人々は居るのですよね。
しかし、そういう場合でもわりとうまくいくのは、「やめる」と言うのではなく、「別のことをする」と言うことです。

「Aをやめる」と「Bをするので、Aをやめる」では、『Aをやめる』という事実に変わりはありませんが、受け取られ方はまったく異なります。

例えば、転職で考えると分かりやすいでしょうか。
どれだけブラック企業であっても「やめる」と言えば「その後どうするの?」と言って反対する人が赤の他人でも居ます。でも、「A社をやめてB社に転職が決まった」と言えば、誰も文句はないでしょうし、むしろ祝ってくれるかもしれません。

また、例えば学校のクラブ活動で考えてみます。
複数の部に所属することはできない制度なのであれば、「○○をやめたい」と言うよりも、「××の方に興味があることが分かったので××をやりたい」と言うのが吉です。
「やめたい」と言えば教師は確実に何らかの指導をしようとするでしょうけども、「やりたい」と言ってくる生徒に「やるな」とは言い難いでしょうから。もちろん「○○の方はどうするんだ」と質問はされるでしょうが、「○○よりも××の方がやりたいことだと気付いた」と答えることはできるでしょう。

つまり、「やめる」ではなく「別のことをする」と言えば、きっと障害は少なくて済みます。
それに、自分にとってもたぶん、何もしないことにするよりは何かすることを探す方がためになるでしょうし。

合わないと判明したなら、さっさと別のことをしろ

というわけで、初志貫徹を求めるな、という話でした。
一度始めたことに「合わないな」と気付いたのなら、さっさと「別のこと」を始めましょう。

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著者紹介


にしし(西村文宏)

にししでございます。本書いたり記事書いたりしてます。あと萌えたり。著書5冊発売中です(Web製作系4冊+小説1冊)。著書や記事は「西村文宏」名義。記事は主にAll Aboutで連載。本の最新刊は2011年3月に発売されたライトノベルでございますよ。

Twitter:にしし/西村文宏
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